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No title
爽さん
こんばんは
レスが遅れまして大変申し訳ございませんでしたm(_ _)m
この時代の磐越西線のセメント輸送は日によって両数がまちまちで、自分の撮影に行った日はタキ5両と短くて物足りない感じがしましたが、今画像を見直してみるとこれはこれでローカル線の貨物列車らしくて良い記録になったと思います。
迂回貨物列車の設定に伴って機関車不足を補うために鷲別から1166号機を借り受けたのも、ワムの走行と共に今となっては貴重な記録ですね。
コメントありがとうございますm(_ _)m
こんばんは
レスが遅れまして大変申し訳ございませんでしたm(_ _)m
この時代の磐越西線のセメント輸送は日によって両数がまちまちで、自分の撮影に行った日はタキ5両と短くて物足りない感じがしましたが、今画像を見直してみるとこれはこれでローカル線の貨物列車らしくて良い記録になったと思います。
迂回貨物列車の設定に伴って機関車不足を補うために鷲別から1166号機を借り受けたのも、ワムの走行と共に今となっては貴重な記録ですね。
コメントありがとうございますm(_ _)m
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普段から運行していた磐越西線セメント列車は、焼島迂回ワム走行期間中は、スジ変更して「セメント物語号」として走っていたんですね。
上記の期間中、このセメント列車けん引の凸にも「DLばんえつセメント物語号」のHM掲出で、走れば面白かったでしょうね。(笑)
当時、鷲別からの応援機である青更新凸1166もセメント物語号をけん引しましたね。
迂回ワムとセメント貨物の運行同日は、塩川駅にて並ぶ光景や会津若松駅構内で、けん引機の東新潟凸が2機並ぶ光景も見られました。
今では、あり得ませんね。(汗)
そして、永遠に・・・と思います。